点在(ポイント)した世界が連続(ラウンド)する瞬間
by RP
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昨日はオーストリアに出かける用があったので、そこで必ずゲットしようと決めていたものを、
帰りがけ、求めた。
ちなみに、ここから車で10分で、もう国境!なので、近所である。
アプフェルシュトゥルーデル
最近は日本でも、美味しいドイツパンのお店があったりする時代だから、
このお菓子の名前をご存知の方も多いのではないだろうか。
簡単に言えば、アップルパイのようなもので、薄い生地の間にりんご、レーズン、シナモン、
そしてゼンメルブレーゼルという細かいパン粉のようなものをふって、くるくる巻き
(これがシュトュルーデルの名前の由来)焼いたもの。
そこに、バニラアイスや、生クリームなどを添えて食べる。
美味!
ウィーンにいた折りは、よく食べたものだ。
面白いことに、このお菓子がドイツに来ると、微妙に何かが違うようだ。
生地に対する感覚、コンセプトのようなものが。
オーストリアのシュトゥルーデルの生地は、薄く薄く延ばし、透けて新聞が読めるくらい、というのが
冗談でなく条件らしい。
しばらくご無沙汰していたお菓子をまた食べたくなった原因が、その前夜、テレビでシュトゥルーデルに
ついての番組をやっていて、思わず「あぁ・・・・」とあの美味しさがよみがえったため。
その番組では、もれなく、シュトゥルーデル生地の下に新聞を置き『読める』、という証明が
行われていた。
その番組で、面白い話を体験した。
そもそもシュトゥルーデルはトルコからやってきた、と。
トルコには「バクラワー」というお菓子がある。
これまたとても薄い生地の間にナッツ類をたくさん挟み、シロップや蜂蜜をたっぷりしみこませた、歯が痛くなるような甘ーーーいお菓子である。
お茶を飲みながら、これをちびりちびりかじるのは、これまた美味しい。
たしかに似ている。それこそ、生地に対する感覚、コンセプトのようなものが。。。
トルコとウィーンは縁が深く、オスマン帝国時代、勢力拡大のためウィーンを陥落しようと、
2度試みているが、失敗に終わっている。
ウィーンにいたころ、旅好き母を助手席に乗せて、いろいろ旅をしては、
オスマン帝国の足跡をここかしこに発見したものだ。
しかし、歴史の遺跡でなくても、その足跡はしっかり残っている。
今やフランスといえば・・・のクロワッサン。
実はたどればトルコのウィーン包囲に無縁ではない。
そもそもクロワッサンは、オーストリアのキプフェールというパンを、マリー・アントワネットが
フランスにお嫁に行った折りに持ち込んだもので、もとはオーストリアのものであった。
それをもっとさかのぼり、時は1683年。第二次ウィーン包囲を試みるオスマン帝国。
強靭なウィーンの城壁を爆破すべく、人々が眠りにふけっている時間帯に、地下道を掘っていた。
しかし、その時間にせっせと働く人たちがいる。パン屋さんだ。
そこで、きっとコネコネと生地を準備していたパン屋さんが、不審な音を聞き(地下道を掘る作業の音)
通報したことで、オスマン帝国の作戦を見事にストップさせ、オスマン軍は再度敗北した。
ウィーンでは、その栄光を記念して、今なおトルコの国旗に見ることのできる、オスマン帝国のシンボルである『三日月』これを形どったキプフェールが作られた・・・とか。
ウィーンに無くてはならないカフェ文化も、トルコ軍跡に残されていたコーヒー豆から始まった。とか。
最近では、それらの話が真実かどうか、論議は絶えないそうだが、歴史家としてではなく、
そこからファンタジーさせてもらう側にいる私としては、このような話をきくと、
内心「Bingo!」と叫んでしまう。
まさに食の、文化のRonud-P!である。
ちなみにオスマン帝国のプレゼントのもうひとつが「トルコ行進曲」。
モーツァルト氏がこれを書いた年は、もうオスマン帝国の包囲作戦から100年が経ち、
あの脅威も過去の話。となると、人間は不思議なもので、戦勝記念100周年の喜びとともに、
異国情緒あふれるオスマンのイメージがポジティブに働き、
いわゆるトルコブームのようなものが生まれたようである。
流行ものに敏感なモーツァルト氏。
もちろん、その流れをキャッチして、「トルコ風」な曲を作った。それがトルコ行進曲だ。
オスマン帝国のサウンドといえば、士気を高めるべく、にぎやかに打ち鳴らされる太鼓やシンバル
であった。それは、ウィーンの人々には、包囲当時は脅威であり、100年経てば、
なんともオリエンタルなサウンドでもあったのだ。
最近、あまりにファンタジーが飛びすぎて、自分が体験したことか夢なのか、よくわからなくなる、
という少々危険な状態?にある私であるが、たしかウィーンのあるピアノ技師のお店で、
『それ仕様』の楽器を見せていただいたような記憶がある。
ただ、今それを思い出すと、ある午後のその出来事があまりになにげないものだったので、
(ウィーンとはそういう街だ)
一瞬「あれ、これって夢だっけ?」と考えてしまうのだが。
ある日、「これでトルコ行進曲弾いてみてよ」と、ある一台の古い楽器に紹介された。
なんと、いくつか並ぶペダルの一番右を踏むと、「ジャン!」とシンバルのような音がなる仕組みになっているのだ。
えらい真面目顔であの曲を弾くのが愉快に思えるくらい、ワォ!という感覚。
それを想像してトルコ行進曲を一度お聞きいただきたいが、「ここでしょう」ときっと思われる
であろう箇所で、そのペダルを踏めば、一気に世界はオスマン帝国。
そうやって、過去の脅威は過去のもの。勝利の記念のキプフェルとコーヒーの美味しさを
味わいながら、オスマン・サウンドな音楽を楽しんで異国情緒に浸る・・・というオーストリア人、
というのも、ありうる話だ。
味も、音も、世界を回る。そんな出来事でした。
M.S
帰りがけ、求めた。
ちなみに、ここから車で10分で、もう国境!なので、近所である。
アプフェルシュトゥルーデル
最近は日本でも、美味しいドイツパンのお店があったりする時代だから、
このお菓子の名前をご存知の方も多いのではないだろうか。
簡単に言えば、アップルパイのようなもので、薄い生地の間にりんご、レーズン、シナモン、
そしてゼンメルブレーゼルという細かいパン粉のようなものをふって、くるくる巻き
(これがシュトュルーデルの名前の由来)焼いたもの。
そこに、バニラアイスや、生クリームなどを添えて食べる。
美味!
ウィーンにいた折りは、よく食べたものだ。
面白いことに、このお菓子がドイツに来ると、微妙に何かが違うようだ。
生地に対する感覚、コンセプトのようなものが。
オーストリアのシュトゥルーデルの生地は、薄く薄く延ばし、透けて新聞が読めるくらい、というのが
冗談でなく条件らしい。
しばらくご無沙汰していたお菓子をまた食べたくなった原因が、その前夜、テレビでシュトゥルーデルに
ついての番組をやっていて、思わず「あぁ・・・・」とあの美味しさがよみがえったため。
その番組では、もれなく、シュトゥルーデル生地の下に新聞を置き『読める』、という証明が
行われていた。
その番組で、面白い話を体験した。
そもそもシュトゥルーデルはトルコからやってきた、と。
トルコには「バクラワー」というお菓子がある。
これまたとても薄い生地の間にナッツ類をたくさん挟み、シロップや蜂蜜をたっぷりしみこませた、歯が痛くなるような甘ーーーいお菓子である。
お茶を飲みながら、これをちびりちびりかじるのは、これまた美味しい。
たしかに似ている。それこそ、生地に対する感覚、コンセプトのようなものが。。。
トルコとウィーンは縁が深く、オスマン帝国時代、勢力拡大のためウィーンを陥落しようと、
2度試みているが、失敗に終わっている。
ウィーンにいたころ、旅好き母を助手席に乗せて、いろいろ旅をしては、
オスマン帝国の足跡をここかしこに発見したものだ。
しかし、歴史の遺跡でなくても、その足跡はしっかり残っている。
今やフランスといえば・・・のクロワッサン。
実はたどればトルコのウィーン包囲に無縁ではない。
そもそもクロワッサンは、オーストリアのキプフェールというパンを、マリー・アントワネットが
フランスにお嫁に行った折りに持ち込んだもので、もとはオーストリアのものであった。
それをもっとさかのぼり、時は1683年。第二次ウィーン包囲を試みるオスマン帝国。
強靭なウィーンの城壁を爆破すべく、人々が眠りにふけっている時間帯に、地下道を掘っていた。
しかし、その時間にせっせと働く人たちがいる。パン屋さんだ。
そこで、きっとコネコネと生地を準備していたパン屋さんが、不審な音を聞き(地下道を掘る作業の音)
通報したことで、オスマン帝国の作戦を見事にストップさせ、オスマン軍は再度敗北した。
ウィーンでは、その栄光を記念して、今なおトルコの国旗に見ることのできる、オスマン帝国のシンボルである『三日月』これを形どったキプフェールが作られた・・・とか。
ウィーンに無くてはならないカフェ文化も、トルコ軍跡に残されていたコーヒー豆から始まった。とか。
最近では、それらの話が真実かどうか、論議は絶えないそうだが、歴史家としてではなく、
そこからファンタジーさせてもらう側にいる私としては、このような話をきくと、
内心「Bingo!」と叫んでしまう。
まさに食の、文化のRonud-P!である。
ちなみにオスマン帝国のプレゼントのもうひとつが「トルコ行進曲」。
モーツァルト氏がこれを書いた年は、もうオスマン帝国の包囲作戦から100年が経ち、
あの脅威も過去の話。となると、人間は不思議なもので、戦勝記念100周年の喜びとともに、
異国情緒あふれるオスマンのイメージがポジティブに働き、
いわゆるトルコブームのようなものが生まれたようである。
流行ものに敏感なモーツァルト氏。
もちろん、その流れをキャッチして、「トルコ風」な曲を作った。それがトルコ行進曲だ。
オスマン帝国のサウンドといえば、士気を高めるべく、にぎやかに打ち鳴らされる太鼓やシンバル
であった。それは、ウィーンの人々には、包囲当時は脅威であり、100年経てば、
なんともオリエンタルなサウンドでもあったのだ。
最近、あまりにファンタジーが飛びすぎて、自分が体験したことか夢なのか、よくわからなくなる、
という少々危険な状態?にある私であるが、たしかウィーンのあるピアノ技師のお店で、
『それ仕様』の楽器を見せていただいたような記憶がある。
ただ、今それを思い出すと、ある午後のその出来事があまりになにげないものだったので、
(ウィーンとはそういう街だ)
一瞬「あれ、これって夢だっけ?」と考えてしまうのだが。
ある日、「これでトルコ行進曲弾いてみてよ」と、ある一台の古い楽器に紹介された。
なんと、いくつか並ぶペダルの一番右を踏むと、「ジャン!」とシンバルのような音がなる仕組みになっているのだ。
えらい真面目顔であの曲を弾くのが愉快に思えるくらい、ワォ!という感覚。
それを想像してトルコ行進曲を一度お聞きいただきたいが、「ここでしょう」ときっと思われる
であろう箇所で、そのペダルを踏めば、一気に世界はオスマン帝国。
そうやって、過去の脅威は過去のもの。勝利の記念のキプフェルとコーヒーの美味しさを
味わいながら、オスマン・サウンドな音楽を楽しんで異国情緒に浸る・・・というオーストリア人、
というのも、ありうる話だ。
味も、音も、世界を回る。そんな出来事でした。
M.S
by round-p
| 2011-01-11 20:44
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