人気ブログランキング | 話題のタグを見る


点在(ポイント)した世界が連続(ラウンド)する瞬間


by RP

S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

カテゴリ

全体
音楽
映画
たべもの

カフェ
演劇

N.Y
季節

すきなもの
インターネット
未分類

以前の記事

2021年 03月
2019年 09月
2018年 04月
2017年 10月
2017年 08月
2017年 06月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 09月
2016年 02月
more...

その他のジャンル

最新の記事

YouTubeチャンネル開設
at 2021-03-14 18:44
世界が広がる!
at 2019-09-27 17:03
世界の音に出会う旅 〜Rou..
at 2018-04-14 11:15
ありがとうございました!
at 2017-10-05 17:55
3人のピアニストが繋ぐものがたり
at 2017-08-03 13:01
ジャズソロデビュー!
at 2017-06-29 22:38
新たな一歩
at 2017-01-05 19:25
響きあうピアノと絵画~新たな..
at 2016-12-28 13:20
年の瀬のご挨拶
at 2016-12-26 20:09
セプテンバー・コンサート2016
at 2016-09-12 14:50

外部リンク

ファン

記事ランキング

ブログジャンル

画像一覧

まわるまわる

昨日はオーストリアに出かける用があったので、そこで必ずゲットしようと決めていたものを、
帰りがけ、求めた。
ちなみに、ここから車で10分で、もう国境!なので、近所である。

アプフェルシュトゥルーデル

最近は日本でも、美味しいドイツパンのお店があったりする時代だから、
このお菓子の名前をご存知の方も多いのではないだろうか。
簡単に言えば、アップルパイのようなもので、薄い生地の間にりんご、レーズン、シナモン、
そしてゼンメルブレーゼルという細かいパン粉のようなものをふって、くるくる巻き
(これがシュトュルーデルの名前の由来)焼いたもの。
そこに、バニラアイスや、生クリームなどを添えて食べる。

美味!

ウィーンにいた折りは、よく食べたものだ。
面白いことに、このお菓子がドイツに来ると、微妙に何かが違うようだ。
生地に対する感覚、コンセプトのようなものが。

オーストリアのシュトゥルーデルの生地は、薄く薄く延ばし、透けて新聞が読めるくらい、というのが
冗談でなく条件らしい。

しばらくご無沙汰していたお菓子をまた食べたくなった原因が、その前夜、テレビでシュトゥルーデルに
ついての番組をやっていて、思わず「あぁ・・・・」とあの美味しさがよみがえったため。
その番組では、もれなく、シュトゥルーデル生地の下に新聞を置き『読める』、という証明が
行われていた。

その番組で、面白い話を体験した。
そもそもシュトゥルーデルはトルコからやってきた、と。

トルコには「バクラワー」というお菓子がある。
これまたとても薄い生地の間にナッツ類をたくさん挟み、シロップや蜂蜜をたっぷりしみこませた、歯が痛くなるような甘ーーーいお菓子である。
お茶を飲みながら、これをちびりちびりかじるのは、これまた美味しい。

たしかに似ている。それこそ、生地に対する感覚、コンセプトのようなものが。。。

トルコとウィーンは縁が深く、オスマン帝国時代、勢力拡大のためウィーンを陥落しようと、
2度試みているが、失敗に終わっている。
ウィーンにいたころ、旅好き母を助手席に乗せて、いろいろ旅をしては、
オスマン帝国の足跡をここかしこに発見したものだ。

しかし、歴史の遺跡でなくても、その足跡はしっかり残っている。

今やフランスといえば・・・のクロワッサン。
実はたどればトルコのウィーン包囲に無縁ではない。
そもそもクロワッサンは、オーストリアのキプフェールというパンを、マリー・アントワネットが
フランスにお嫁に行った折りに持ち込んだもので、もとはオーストリアのものであった。

それをもっとさかのぼり、時は1683年。第二次ウィーン包囲を試みるオスマン帝国。
強靭なウィーンの城壁を爆破すべく、人々が眠りにふけっている時間帯に、地下道を掘っていた。

しかし、その時間にせっせと働く人たちがいる。パン屋さんだ。
そこで、きっとコネコネと生地を準備していたパン屋さんが、不審な音を聞き(地下道を掘る作業の音)
通報したことで、オスマン帝国の作戦を見事にストップさせ、オスマン軍は再度敗北した。
ウィーンでは、その栄光を記念して、今なおトルコの国旗に見ることのできる、オスマン帝国のシンボルである『三日月』これを形どったキプフェールが作られた・・・とか。

ウィーンに無くてはならないカフェ文化も、トルコ軍跡に残されていたコーヒー豆から始まった。とか。

最近では、それらの話が真実かどうか、論議は絶えないそうだが、歴史家としてではなく、
そこからファンタジーさせてもらう側にいる私としては、このような話をきくと、
内心「Bingo!」と叫んでしまう。
まさに食の、文化のRonud-P!である。

ちなみにオスマン帝国のプレゼントのもうひとつが「トルコ行進曲」。
モーツァルト氏がこれを書いた年は、もうオスマン帝国の包囲作戦から100年が経ち、
あの脅威も過去の話。となると、人間は不思議なもので、戦勝記念100周年の喜びとともに、
異国情緒あふれるオスマンのイメージがポジティブに働き、
いわゆるトルコブームのようなものが生まれたようである。

流行ものに敏感なモーツァルト氏。
もちろん、その流れをキャッチして、「トルコ風」な曲を作った。それがトルコ行進曲だ。
オスマン帝国のサウンドといえば、士気を高めるべく、にぎやかに打ち鳴らされる太鼓やシンバル
であった。それは、ウィーンの人々には、包囲当時は脅威であり、100年経てば、
なんともオリエンタルなサウンドでもあったのだ。

最近、あまりにファンタジーが飛びすぎて、自分が体験したことか夢なのか、よくわからなくなる、
という少々危険な状態?にある私であるが、たしかウィーンのあるピアノ技師のお店で、
『それ仕様』の楽器を見せていただいたような記憶がある。
ただ、今それを思い出すと、ある午後のその出来事があまりになにげないものだったので、
(ウィーンとはそういう街だ)
一瞬「あれ、これって夢だっけ?」と考えてしまうのだが。

ある日、「これでトルコ行進曲弾いてみてよ」と、ある一台の古い楽器に紹介された。
なんと、いくつか並ぶペダルの一番右を踏むと、「ジャン!」とシンバルのような音がなる仕組みになっているのだ。
えらい真面目顔であの曲を弾くのが愉快に思えるくらい、ワォ!という感覚。

それを想像してトルコ行進曲を一度お聞きいただきたいが、「ここでしょう」ときっと思われる
であろう箇所で、そのペダルを踏めば、一気に世界はオスマン帝国。
そうやって、過去の脅威は過去のもの。勝利の記念のキプフェルとコーヒーの美味しさを
味わいながら、オスマン・サウンドな音楽を楽しんで異国情緒に浸る・・・というオーストリア人、
というのも、ありうる話だ。

味も、音も、世界を回る。そんな出来事でした。

M.S
by round-p | 2011-01-11 20:44 | たべもの